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変人が多いといわれる京大理学部の中でもまともな方だと思っている人の部ログ(×ブログ)




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2007年12月22日(Sat)▲ページの先頭へ
最高の投資
時間とお金の使い方には3通りある。
消費、浪費、投資の3つだ。
消費とは、生活に必要なものをそろえるために使うお金であり、
浪費とは、役に立たないもの、不要なもののために使うお金だ。
投資とは、将来のためにリターンを期待しての使い方だ。

自分が出すものと得るものとの関係を図示すれば次のようになろう。
消費:出=得
浪費:出>得
投資:出<得

消費は必要なものだから抑えてはならないが、
浪費を抑え、その分を投資にまわしている人は、将来多くのものを得る。

さて、あなたの時間とお金の使い方はどれが多いだろう?


2007年11月19日(Mon)▲ページの先頭へ
努力は善か?
久々の投稿。
基本的に自分が投稿を怠るのは、ブログ書いている暇もないほど忙しいか、他にもっと面白いことがあるときか、もしくはブログを書く気にもならないほど気が滅入っているとき。
今回は、それら全てかな。


さて、日本では「努力」が非常に重んじられる。

結果よりも過程が大事。
頑張ることが素晴らしい。

という思いを日本人の多くが抱いているのではないだろうか。


これが他の国に行くと、

結果が全て
頑張っても結果が出なけりゃ、その努力は無駄だったのさ

ということにもなる。


努力は素晴らしい

というのも経験や環境によって作られた信念であることが分かる。


では、実際のところ、努力はそれ自体で素晴らしいものなのだろうか。

私自身は、努力は素晴らしいものだし、払った努力は当然報われるべきだ、と思っていた。

が、去年1年間を通して、
努力が素晴らしいものとなるかどうかは、「何のための努力か」によって決まる
ということが知らされた。

例をあげよう。

密林の中で道に迷ったときに、
「とにかく歩くのが素晴らしい!」
と行って闇雲に歩いていったらどうなるか。

まれに万分の1の確率で正しい経路に出ることができることもあろうが、
おそらくは余計に迷うことになるだろう。


歩く前にまず大事なのは、「どこに向かって歩くのか」であり、目的地であり、正しい道のりである。
それが分からずに闇雲に歩けば、時間と体力を無駄に浪費することになる。


資格マニアと呼ばれる人がいる。
いろいろな資格を持っている人を見ると「すごいなぁ」とは思うが、尊敬はしない。
目的を見誤っているように思えるからである。


全身全霊をかけて、大量破壊兵器をつくったら、その努力は善いこととは言えまい。


迷信を信じて、くだらないものを求めて一生を終わったら、その人の人生はやはり無駄だったと言われるであろう。


時間は限られている。
あれもこれもと余計なことに手を出し、時間と体力を無為にしていては、目的成就はありえない。

必死に頑張っているその手を少し休めて、
「本当にこれは役に立つ努力だろうか」
と考えてみてはいかがだろうか。

他にもっと良い道があれば、今までのこだわりを捨てて、より良い道を選べる人こそ、本当の賢者だ。


2007年10月15日(Mon)▲ページの先頭へ
笑顔
金がなくても
物がなくても
笑顔ひとつで
人を幸せにできる

人が幸せになれば
自分が幸せになる

幸せな人は
まわりに笑顔をふりまき

その笑顔をうけた人は
また幸せになる

笑顔と
幸せと
無限の連鎖

その連鎖の
最初のひとりに
わたしもなろう




2007年09月06日(Thu)▲ページの先頭へ
「分かる」というのは「分ける」ということ。
じゃあ、自分が分からない、というのは、自分と他者を分けられていない、ということなのだろう。

あるいは、こうしてブログを書き、どうでもいいような情報を発信していること自体が、自分と他者を分けられていない、ということなのかもしれない。
もし、自分でない他者が毎日数十人、このくだらない記事を読むのだ、ということが真に分かれば
よほど強烈な主張が無い限り、自ら情報を発信しようなどとは思わないはずだから。
どうでもいいことをブログにつづれるのは、それを読む”他者”がいる、ということが本当には分かっていないからだ。



今日も変わらず現実感が希薄だ。

この感覚は何かに似ているな、と思ったら本を読んでいる感覚に似ていることに気づいた。
本の中にはたくさんの登場人物がいて、それぞれがそれぞれの生活を営み、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいるけれども、それは現実じゃない。
それはあくまで一冊の本の中の話。
いや、本を読んでいるような、というのは我ながらうまいたとえだと思う。

世の中すべての人がこの感覚の中で生活しているとは到底考えられない。
ということは、この先にまた別の世界があるのだろう。
行ってみるまでは分からない、行ってみたとき初めて分かる。
行ってみても分からないものに比べればずいぶんとマシだろう。

本の中でどれだけ頑張っても、本の外に出られるものだろうか。
まぁ、やってみないと分からないことも多いし、やってみてはじめてわかることもあるだろう。




2007年09月05日(Wed)▲ページの先頭へ
自我の目覚め
ここ数日、「生」に実感が無い。

自分が自分である、ということに確信がもてない。

すべての感覚がフィルターを通したようだ。

意識が自分の意識ではないように感じる。

過去と現在と未来とに整合性が取れない。


もともと、その気(け)はあったのだが、このごろは特にひどい。
耐え切れず、病院に行ってみた。

結果は・・・何のことは無い。
思春期の、まだ自我が不安定な青年にはよく見られることなのだそうだ。
「自我についての本でも読んでみたら?」とけだるそうに言う医者の勧めに従い、
自分でも青年心理学や発達心理学について少し調べてみたが、
確かに医者の言うとおり、自分は自我(アイデンティティ)の確立段階にあるらしい。

倫理の教科書にも載っている有名な心理学者E.エリクソンによれば、
アイデンティティの基礎的な確立は子供時代の最終段階である青年期の課題であるらしい。
若者は悪戦苦闘しながら、”他者と違う自分”を確立していくのだそうだ。


自我の確立――中学から高校の間で終わったものとばかり思っていた。
しかし、確かに依然として”自分”という感覚はあいまいなものでしかなかったし、
今までは他人との比較、他人との関係の中でしか”自分”というものを定義できていなかったように感じる。

他人が示す道のりをそのまま受け取るか、せいぜい、いくつか出された選択肢の中から選び取るだけだ。
選ぶように強制されたから選んでいるのであり、
そこには主体的に、自分自身で何かを探し求め、見つける、という過程は無かったに等しい。

社会に出て活躍している大人たちは自我をキチっと確立しているのだろうか。
私の身の回りの人たちはどうなのだろうか。
いや、それを気にすること自体が他人との比較でしか自己を見れていない証拠だ。


子供時代の終わり、というものをなんとなく感じている。
それは外発的なものではなく、内発的に発るものなのだろう。

億千万の可能性の中から
ここからは一冊しか持って行けない

選択には責任を
判断には決断を
権利には義務を

他人の意見に流されず
世間の風潮に流されず

熱狂と狂気に流されず
哀愁と愁嘆に流されず

習慣と惰性に流されず
権力と抑圧に流されず

感情と欲望に流されず
愛情と憎悪に流されず

他人に依らず
世界に依らず

ただ自分だけで自分を感じ
真実をありのままに観る

それができたら素晴らしい


変わることが怖くないといえばウソになる
しかし変わらなければまた同じことを繰り返すだけだ。
今回は逃げない。ゴマかさない。流されない。
よく知り、よく聞き、よく見て、よく考え、そして自らの意思をもって選択する。


捨てることが惜しくないといえばウソになる
しかし、これから先の「捨てる」は、「できないから捨てる」のではない。
「できることでも捨てる」のだ。
捨てることは義務ではない、選ぶという権利になる。
そのためには判断を、決断を、選択を、そして責任を。
その選択が正しかったか否かは、人生の終わり、死のその時において判断されるだろう。


億千万の可能性の中から
ここからは一冊しか持って行けない





さて私は明日から2週間の自転車旅行に出かける。
京都から実家まで、片道約400kmの道のりだ。

この旅行自体は、こうなる前から決めていたことで、そこには何の因果関係も無い。
いや、あるいはこの旅行の決定こそが自我に目覚めるキッカケだったのかも知れないが。

「自分探し」の旅に出る人の気持ちも少し分かるような気がする。

この旅が終わっても何も解決しないかもしれない。
何も得られなかった、という絶望が残るだけかもしれない。
それでも、きっとこの旅は私にとって”良い影響”をもたらしてくれると期待している。







2007年06月30日(Sat)▲ページの先頭へ
それなりに楽しくて、それなりに退屈で

それなりに刺激的で、それなりに平和で

単調だけど、それなりに幸せな日々が繰り返されていく・・・


まるで、それは夢のような時間。

春の日のまどろみのごとく、儚く、今にも覚めてしまいそうな夢。


ゆえに、不安を感じる。

夢は覚めるが定め。

幸せな夢のさめた後には、絶望が待つものと相場は決まっている。


そして、現にこの夢はやがて覚める夢だ。

何年先、何ヶ月先かは分からない。
・・・もしかしたら明日には覚める夢かもしれない。

どんなに願っても

どんなに祈っても

どんなにごまかしても

「この夢は覚める」という現実は変わらない。


その現実を見すえ、行動せよ。

夢さめた後、悔いなきように。









2007年06月23日(Sat)▲ページの先頭へ
間違いを認められるか?
「あなたは間違っている」

面と向かってこう言われて、すぐに反省できる人は少ない。


本当に自分が間違っているかいないかは別として、

相手をしてその言葉を言わしめた責は自分にある。


ここで自らの行為を振り返り、次に活かせる人は稀である。

それゆえに、それができる人は周囲より輝く。



また正す側としては、

人間は、そんな簡単に自分の過ちを認められるほど殊勝な生き物ではない

ということを前提とした上で、

それ相応の方便を用いる必要がある。



「ガキ」と言われて怒る人間もガキだが、

そんなガキに対して、面と向かって「ガキ」という人間も浅はかなのだ。




2007年06月20日(Wed)▲ページの先頭へ
笑顔
「笑う角には福来る」

平凡だが真理だ。

心からの笑顔を見せられて、
気持ちが明るくならない人はいない。
その笑顔一つのためにお金を払っても惜しくはなかろう。


2007年06月17日(Sun)▲ページの先頭へ
「自分は正しい」という思い。


これほどの間違いはあるまい。



2007年05月30日(Wed)▲ページの先頭へ
時間がない
私の中には、強迫観念にも似た一種の強い思いがあります。

それは「時間を無駄にしてはならない」という思いであります。

それは、やがて訪れる死への恐怖に起因するものかも知れません。

あるいは、将来の生活への漠然とした不安から来るものかも知れません。

あるいは、あまりにも広すぎる真理の大海への無力感から来るものもあるでしょう。

これらの一つ一つの思いが、私を焦らせるのでしょう。

これらの一つ一つの重さが、私にのしかかってくるたびに、私は「こんなことをしている場合じゃない」という思いに駆られるのです。

一方で「今さえ楽しければいい」と日々を営んでいる周りの人を見るにつけ、「この人たちは未来が見えていない」という危機感に駆られるのです。

一方で、果てしない欲・煩悩は、私を煩わせ悩ませることにいとまがありません。

それゆえに、この心は一時として休まることがありません。

それゆえに、その心のうちを今ここに書き連ねているのです。

私の中には、こうした闇の心を連ねているのです。



2007年03月13日(Tue)▲ページの先頭へ
常識
「常識とは18歳までに獲得した偏見のセットである」(E.アインシュタイン)


誰もが「自分は正しい」と思って生きている。

では、全人類がそのように信じているのならば、いったい誰が正しいのだろう?


2007年03月08日(Thu)▲ページの先頭へ
哲学者の憂鬱
現実感が無い。

自分がここにいる、という感覚が無い。

あるのは「浮いた」感覚。

誰とも分かりきれない。

60億の人間、その一切と相容れない存在。 それが自分だ。


絶対的な孤独。 すでにズレている。

”私”はここにはいない。

たとえるなら、夢。 そう、夢を見ている。 それが夢とも分からぬ夢だ。

眠り続け

眠り続けている、永遠の昔から。

夢の中で戯れる道化か。


体と魂のシンクロ率が悪い。

5mm浮いた感覚。

○○○(私の本名)という自動人形が動くさまを、”私”は少し離れたところから傍観している。

映画を見ているみたいだ。 ごく退屈な日常映画。 たまにイベントがあって、あとは毎日同じことのくり返し。 ただ一つ笑える点があるとすれば、映画の中の主人公は、その退屈なくり返しを素晴らしいと思っている滑稽さ。 自身の滑稽さにすら気づかぬ主人公の愚かさ。

憂鬱の気があるのか。
――それとも、真実に近いのか。

哲学者の憂鬱。

太りすぎの巨像は自身の体重でその身を滅ぼす。 肥大した思考はその身に破滅を招く。

あるいは哲学的自殺の発端か。


一切は虚構だ。

壮大なる山、海、川。
・・・その風景に写真を貼り付けたのと何の違いがあろう?


ああ、本当は分かっている。
――「この世界」に私の求めているモノは無い

   ソレを『たどり着けぬモノ』と名づける。

ならば再び流転を? いや、無意味だ。次の生においても同じ結果になることは目に見えている。

それでも手がかりは見つけているのだ。
――ならば、それを追うべきでは?

どうやら勘違いしていたようだ。
『真実(ソレ)』は、探し、見つける対象ではない。

(既に言っていた通り)
  求めに求め、掴み取るべきもの。

   ソレを『たどり着くべき場所』と名づける。

ならば、求めよ。 さらば与えられん。

何を戸惑う? 何をためらう? 何を迷う?

再び偽者をつかむ不安?
――そんなもの、何百と経験してきたことだろう?

未知のものに飛び込む不安?
――それを恐れていれば、現状維持あるのみだ

無限の輪廻の果てに見えた真実の尻尾。
――追え、追え、追え

逃せば永遠の業火に沈む。
――もう時間は無い。


――本当は分かっているはずだ。 何を求めるべきかを。

分かっている、分かりきっている、分かっているはずなのに、なぜ分からない???

―――掴め、掴め、掴め

どうやって? その方法を知りたい。

――その方法はとっくに教えた

そういえば、そうだった。


進め、たのむから進んでくれ。


壊れたロボットは動かない。 動かすには・・・何か力が必要だ。


分かっている、また明日には同じような毎日のくり返しだ。
――それこそが最も恐るべきこと。

分からない、自分が分からない。

完全なる自己矛盾。

全力で求めている自分と、全く動こうとしない自分。

――真実のドアは目の前にある。

あとは、そう。開くだけ。
――だから開け。

開け開け開け開け開け。 他の誰でもない、おまえ自身の手で。


動かぬ自分を全力で押し出す。

分からない。誰が押しているのか。

分からない。誰が押されているのか。

分かっているのは、私は今すぐにでも動かねばならないということ。
それでも私は全く動こうとしないという悲劇。

動け。

動け。

動け。

たのむから、動け。


   



中の人:アージー



こんなブログもやってます。↓

現役京大生伝授の勉強法〜勉強は技術だ!〜

書評な部ログ

・・・別人みたい、とか言うな〜







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