痴漢男 所感






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2007年02月09日(Fri)
痴漢男 所感
痴漢男を読んで感ずる所をつらつらと。


まず、こうしたマンガ・小説を読んだあとは、どうも頭がボーっとして脳機能が正常に動作していない。

思うに、こうしたマンガや小説は読んでいるうちに、その「世界」へと引きずり込まれる。
この引きずり込まれた状態が数時間と言う長期にわたると、「現実世界」に戻るまでにタイムラグが必要になるのだろう。
私の場合、プレイ時間60時間長のゲームをやって、頭をリフレッシュし終わるまでに最長で2週間ほどを要したことがある。
この感覚それ自体は嫌いではないのだが、なにぶんこの間は思考回路が正常に動いてくれないので、いかんせん時間の無駄遣いを感じる。


さて、こうしたリアル系のマンガを読むと2つの感情が沸き起こると思う。
「自分もそうした体験をしてみたい」という羨望と
「こうした人の人生に比べて、私の人生はなんとつまらないのか」という落胆である。

だが劣等感を覚える必要は無い。
あなたの人生がつまらないものだとすれば、99%の人の人生はつまらないものであろうし、また人生とはそれ自体つまらないものなのかもしれない(後述)

また、マンガのような人生が必ずしも幸福とは限らない。ドラマチックな恋に落ちたカップルは続かない、という統計まであるほどだ。


私が興味あるのはむしろ、「こうしたドラマチックなイベントを自分もしてみたい」とする人間の思考様式についてである。

思うに、その背景にあるのは「刺激がほしい」という欲求ではないだろうか。

人生の大部分は、ルーチンワークの繰り返しである。
学生というのは半年ごと・1年ごとに区切りがあるからまだいい方で、社会に出るとひたすらルーチンワークにはめ込まれる。
そして、それを学校でも会社でも是(ぜ)としているのだから、もはや人間は尊厳ある個ではなく、資本主義という怪物を、人間社会という巨大ロボットを動かすための歯車であるとさえ思えてくる。

そんな中で、刺激=ルーチンワークから外れた感覚、を求めるのはある種必然ともいえよう。

然るに「刺激を求めずにおれない」というのは、「刺激がない人生はつまらない」という本音の裏返しでもある。

すなわち、何の刺激も無い「人生それ自体」というのは「つまらない」ものであって、
我々が通常「楽しみ」と認識しているのは、人生に起こるイベント=人生を飾る装飾品なのではないだろうか。
人生それ自体が楽しいのであれば、何も刺激を求める必要は無いからである。

人生をマラソンにたとえるならば、走る(生きる)こと自体は苦しいが、目の前の景色(イベント)にばかり目を向けて、その苦しさをごまかしているようなものだ。

そうして苦しみながら走り続けて最後にたどりつくのが、人間の最も忌み嫌う「死」である、というのは悲劇と言うほか無い。


その解決を知った自分は幸福である。

 真実を知るものは幸いなり
   真実を求むるものはなお幸いなり
     真実を獲得するものはもっとも幸いなり 


   



中の人:アージー



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